短編集の書取は、1つ目の水車小屋攻撃から地道に進めていて、4割くらいのところ。
自然主義作家は風土、社会、人物と描写のレイヤーを徐々に掘り下げていき、不意にセリフを挿入して話を転がしていく形が多いと感じる。
話の初っ端は、その世界観が全然分からないから、話されていることが全くの未知のもののように感じられて、単語が全然広拾えず文章が上手く紡げない。
ジェルミナル末期の頃に感じたあの万能感はどこに行ったんだろ。書取修行なんてもう不要だよなとか嘯いていたのが嘘みたいな不出来さ。
語学鍛錬的には紡げない方が修行になって良いはずなのだが、正味4年もやってこんなのも書き取れないのかと思うと寂しくもなるな。
しかしゾラは短編でも描写に手を抜くことはないみたいだ。細かい描写がびっしり、1時間も書き取ると本当にヘトヘト。
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でも、まだイマイチ水車小屋攻撃の世界に入り切れていない感じ。半年続いた大作を終えた直後だから仕方ないけど。まぁしばらく続けてみる。