とにかくフランス語を勉強する

フランス語に加えてイタリア語もダラダラ勉強しているダメリーマンの記録

どうでも良い思い出

TOEICで860点を目標にしたのは
実はTOEICが提供する指標のAクラス、Bクラスの
区切りだからとかそういうことではない。


14年前、語学クラスの友達が叩き出したスコアが
860点でそれを自分が追い越したいと思ったのが発端だった。


大学1年、大学受験を終えてバーンアウト気味の
自分と気があった友達に、語学クラスで一緒のT君がいた。


T君とは麻雀をしたり、ダベったり、ノートの融通をしたり、
大学生らしい平凡な日常を過ごしていた。


専攻科目の基礎過程にあまり魅力を見出せず、
どちらかというと英語や、第二外国語のフランス語が
好きなところが似ていた。


ある日、初めてT君の下宿に遊びに良くと
CNNEXPRESSとか、ENGLISHマガジンとか
英語系の雑誌がずらっと並んでいた。
「英語勉強しているの?」
「いや、あんまり。続かないんだよね。」


ふーん・・・やっぱりTは自分と同じ側の
「やる気のない」人間なんだな。そのことに安堵していた。


・・・
しかし、彼は影で自分の何十倍も努力していた。
大学2回になった春のある日、
彼は嬉しげにTOEICのスコアシートを持ってきた。


860点!


その頃にはTOEICは就職への必須資格のような
宣伝が浸透していたので、それがどれだけ
凄い事が直ぐに分かった。


留学経験もないT君が叩き出したスコアに、
突然何か堅いもので殴られたような強い衝撃を受けた。
彼は1年間、自分を研磨し続けていた。


麻雀をやった後でも、バイトで疲れた後でも
彼は継続して下宿でコツコツ英語の勉強を重ねていたのだ。


1年間俺は何をしていたのか・・・
急に体が火照ってくるのを感じた。


俺も勉強しよう。英語をやろう、860を取りたい!
主たる目的もなく、何か大学生活のプライベートの指針
みたいなものが決まった。


まずとっつきやすい文法からやろう。
2ヶ月ひたすらやった。かなり勉強を重ねた。
で、大学2回の7月、初回受験に至った。


630点。
思った以上の難しさに眩暈がした。
860の壁の高さはまた想像すら出来なかった。


次も継続して受けたかったところだが、
大学1回、2回と暇だった自分も、
バイトのかけもち、難しくなる専門科目の勉強、
ゼミ活動の激化等で忙しくなってきた。


それでも前向きに継続的には出来なくても良い。
気が向いたらやれば良いんだと、
本当に少しずつ、少しずつ、勉強を重ねた。


大学3回の7月、2回目の受験、


665点。
さして伸びなかったことにガッカリした。


大学在籍中の860が難しくなってきた。
秋になると、ゼミの大学祭の準備で忙しさは
ピークに達した。
それでも粛々と、粛々と毎日は出来なくても、
気が向いた時に勉強を少しずつ重ねた。
全てはT君に追いつくため。


大学3回の1月、3回目の受験。


735点。
やっとBクラスに到達。
ようやく、履歴書に書けるくらいの点が取れた・・
かなりの覚悟を決めての受験だったゆえに
この点数でも安堵した。


1年半、中断を繰り返しながらも
100点点数を上げられた事に満足するとともに、
T君の異常な語学スペックには恐れおののくしかなかった。


この後すぐに就職活動シーズンに突入、
暢気だった自分もあまりの厳しい買い手市場に、
苦しい日々を送った。


何とか就職先を決めた後、疲れきった自分には、
あのT君に追いつく情熱はもはや残っていなかった。
860というスコアがもはや非現実的なものにしか
思えなくなっていたのだ。


・・・
その後社会人になり、さして英語に接する機会もなく
ダラダラと目標未達のまま33歳の今に至っている。


しかし前回825を取ったとき、
やっとT君に肉薄できるチャンスが巡ってきたと思った。
いくら年月がかかっても、追いつきたいと思う。


くだらない発端かもしれない。
けど、あの痛手が今も自分を突き動かしている。


T君は3回でゼミが分かれてから段々と会う機会も減り、
卒業後、田舎の実家に戻った後は連絡も取れずに
疎遠になってしまったが、とにかく有難うと言いたい。