プリモ・レーヴィの「溺れるものと救われるもの(I sommersi e i salvati)」を踏破しました。40日、ゆっくりと書き移しながら読みました。
・・読後感が何とも形容できません。重いというか、ずっしり来るというか。
この本は、自分が今まで親しんできたジャンルの小説や自伝ではありません。
著者が生き抜いたアウシュヴィッツについて、その社会構造の難解さ、暴力装置としての意味、恥辱を与える理由、囚人の知性との関係、ドイツ人の贖罪意識など、様々な断面から自由に思考を展開したものです。
論説ではないし、エッセーでもないし、敢えて言うなら考察録とでも言うんでしょうかね。
今の世界情勢に対するメタファー(暗喩)を随所に感じられるところに、レーヴィの指摘の鋭さを感じます。
これでここまで、プリモ・レーヴィについては、
アウシュヴィッツの体験を描いた「これが人間か(Se questo é un uomo)」(⇒)、
その後の解放から帰国までの放浪の旅を描いた「休戦(La tregua)」(⇒)、
そして彼の化学者としての小話集「周期律(Il sistema periodico)」(⇒)、
そしてそれらを集成して思考を展開した「溺れるものと救われるもの(I sommersi e i salvati)」、
4作読んできたことになります。歴史だけでなく、現代社会への解像度も間違いなく上がったと思います。
少し復習してから、次に移りたいと思います。
あと追記。
※1 事前にプリモ・レーヴィの「これが人間か(Se questo é un uomo)」だけでも読んでおかないと、話が理解しにくいと思います。
※2 小説や自伝の時と違ってセリフが殆どなく、プリモ・レーヴィの説明が銃弾爆撃のように延々と続くので、最初は読みづらく感じました。
※3 古い小説とか、古代の神話とか、歴史上の人物の逸話などを参照したスノッブな例えが多く、日本語訳の解説がないと中々納得しながら進めません。難しー。
(12/14 追記 新しい小説を読みます)